鹿児島県 和泊町
(わどまりちょう)
  • 人口:6,246人
  • 面積:40km
  • 財政力指数:0.18
  • 情報更新日:2022/3/27
活力と潤いと魅力あふれる花の町
  • 九州
  • 鹿児島
  • 沖永良部島
  • 日本一のガジュマル
  • 潮吹き洞窟
  • ソテツジャングル
  • ウミガメ
和泊町ってどんなところ?
About
沖永良部島は,古くは琉球国に属し(1266年~1609年),現在でも沖縄との交流は深く,生活文化面には琉球文化が色濃く残っています。
琉球服属は340年続き,1609年薩摩の琉球支配に伴い,本島は薩摩藩の直属領になりました。薩摩直属は1871年の廃藩置県まで260年間続きました。
薩摩の国父・島津久光公の怒りに触れた西郷隆盛翁は1年7ヶ月牢生活を送られ,その間,若者に学問を教え,更には「敬天愛人」の思想を確立した地として知られています。翁の教えが島の教育,文化に大きな影響を与え,祖先を敬い,勤労を尊び,明るく豊かな心を育み,花を愛で育てる風土が先人たちから受け継がれています。
1908年(明治41年)4月,島しょ町村制が実施され,本島は和泊村と知名村に区分,1941年(昭和16年)5月1日,和泊村に町制が施行され和泊町になりました。
その後,第2次世界大戦が勃発し,1945年敗戦により1946年1月28日祖国から分離され,1953年(昭和28年)12月25日祖国復帰するまでの8年間,軍政下にありました。
『活力と潤いと魅力あふれる花の町』和泊町は,花卉園芸を中心に生産性の高い農業に取り組むとともに,恵まれた地域資源を活用したタラソテラピー施設を整備し,『心と体と癒しの島』づくりにも取り組んでおります。
そして『敬天愛人』の理念で培われた町民性は,人情味あふれる町としても知られています。
人づくり,土づくり,健康づくり,花づくりの町民4大運動を合言葉に更なる発展を目指しています。
(公式Webより引用)
アンバサダーからひとこと
首長メッセージ
Message
和泊町長
前登志朗
過疎への取り組み
Point 01
現在,全国的に少子高齢化の進展に伴う人口減少は,経済社会に対して大きな重荷になっている状況である。また,大都市での景気は回復傾向であるが,地方ではいまだ回復傾向がみられない状況であり,特に本町は農業立町であるが,近年自然災害の影響等により農業生産額が落ち込み,地域経済が低迷しており,農業分野の建て直しによる産業振興が急務である。
本町ではこれまでも過疎対策事業のソフト事業として,「産科医等確保支援事業」,「就学支援対策事業」,「集落リーダー育成事業」,「地域活性化支援事業」,「あざ・まち元気活動事業」などに取り組んできたところである。
その中でも,「産科医等確保支援事業」は隣町と連携しながら取り組んだ成果として,平成26年度から1名常勤医として勤務している。また,町独自の取組としてまちづくり協力隊による「あざ・まち元気活動事業」は,集落を支援することで住民主体による地域活性化への取組が浸透してきている。今後も継続しながら地域での人材育成や確保への支援を行う。
また,農産物などの地域資源の有効活用,新たな販路開拓などの産業振興,今後は交流人口の増加が見込まれることから受入体制を積極的に推進し,所得向上及び雇用の増大を図る。
公共施設等総合管理計画と整合性をとり,既存の公共施設の有効活用方法を周知することで利用者の増加を図り,自主財源の確保につなげながらコミュニティづくりを図る。
人口減少対策及び雇用創出を目的とした総合戦略と併せて本町の第5次総合振興計画を基に,地域資源を最大限有効活用し,産業の振興をはじめ,地域の自立発展に向けて,様々な事業を実施していく。
いま、力を入れていること
Point 02
観光スポット
Point 03
プロモーション動画
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StreetViewで街歩き
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