熊本県 苓北町
(れいほくまち)
- 人口:7,085人
- 面積:68km
- 財政力指数:0.5
- 情報更新日:2022/3/27
安心して住めるれいほく・いきいきと暮らせるれいほく・ふるさとと呼べるれいほく
- 九州
- 熊本
- 天草諸島
苓北町ってどんなところ?
About
苓北町の歴史は古く、古墳や土器などが発見されたことから、縄文、弥生の時代までその歴史を遡ることができます。そのころから既に勢力をもつ先人たちが生活していたと立証されています。
苓北町は数百年にわたって天草の中心地でした。1205年志岐光弘氏が志岐六ヶ浦の地頭となり、坂瀬川、志岐、都呂々、富岡を含む天草下島の北部一帯を約400年統治しました。そして、戦国時代末期には全盛期を迎え、志岐麟泉はキリシタンを受け入れ、南蛮貿易を行おうとしましたが、実現できませんでした。
その後、徳川時代には富岡に代官所が置かれ、約270年間、天草全土の郡政を治め、天草の政治、経済、文化の中心地として繁栄しました。
昭和28年の町村合併促進法施行により、天草郡坂瀬川村、志岐村、富岡町及び都呂々村の4ヶ町村の合併の機運が高まり、昭和30年1月1日、都呂々村を除く3ヶ町村が合併、苓北町が誕生しました。翌年の昭和31年に都呂々村が編入合併され、現在の苓北町となりました。
(公式Webより引用)
苓北町は数百年にわたって天草の中心地でした。1205年志岐光弘氏が志岐六ヶ浦の地頭となり、坂瀬川、志岐、都呂々、富岡を含む天草下島の北部一帯を約400年統治しました。そして、戦国時代末期には全盛期を迎え、志岐麟泉はキリシタンを受け入れ、南蛮貿易を行おうとしましたが、実現できませんでした。
その後、徳川時代には富岡に代官所が置かれ、約270年間、天草全土の郡政を治め、天草の政治、経済、文化の中心地として繁栄しました。
昭和28年の町村合併促進法施行により、天草郡坂瀬川村、志岐村、富岡町及び都呂々村の4ヶ町村の合併の機運が高まり、昭和30年1月1日、都呂々村を除く3ヶ町村が合併、苓北町が誕生しました。翌年の昭和31年に都呂々村が編入合併され、現在の苓北町となりました。
(公式Webより引用)
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