和歌山県 すさみ町
(すさみちょう)
- 人口:3,687人
- 面積:174km
- 財政力指数:0.19
- 情報更新日:2022/3/27
南紀・すさみ町へようこそ
- 近畿地方
- 和歌山
- 西牟婁郡
- ケンケン船
- カツオ漁
すさみ町ってどんなところ?
About
すさみ町は、豊かな自然に恵まれ、6世紀代から紀南の拠点であったことが、昭和45年に発掘された上ミ山古墳によって裏付けられています。
平安期には、串本町、古座町、古座川町と共に牟婁郡三前(みさき)郷に属しました。
近世は紀州藩の支配下になり、明暦3年(1657年)周参見に口熊野奉行所(寛政11年(1799年)代官所に改組)が置かれ、東は太田川(那智勝浦 町)から、西は瀬戸鉛山(白浜町)に至る157カ村、石高19,373石の広範な地域を管轄する地方政治の中心地として栄えました。
明治22年の町村制施行により各々藩制時代の村や浦が合併して周参見村、大都河村、佐本村、江住村が誕生し、大正13年に周参見村が町制を施行して周参見町となりました。
昭和30年3月、三舞村大字太間川が分村して周参見町へ編入され、同時に周参見町、佐本村、大都河村の1町2村が合併して、新しく「すさみ町」が発足しました。
その後、昭和31年4月に大字大鎌を江住村へ分町しましたが、昭和34年3月に江住村をすさみ町へ編入合併して、現在に至っています。
(公式Webより引用)
平安期には、串本町、古座町、古座川町と共に牟婁郡三前(みさき)郷に属しました。
近世は紀州藩の支配下になり、明暦3年(1657年)周参見に口熊野奉行所(寛政11年(1799年)代官所に改組)が置かれ、東は太田川(那智勝浦 町)から、西は瀬戸鉛山(白浜町)に至る157カ村、石高19,373石の広範な地域を管轄する地方政治の中心地として栄えました。
明治22年の町村制施行により各々藩制時代の村や浦が合併して周参見村、大都河村、佐本村、江住村が誕生し、大正13年に周参見村が町制を施行して周参見町となりました。
昭和30年3月、三舞村大字太間川が分村して周参見町へ編入され、同時に周参見町、佐本村、大都河村の1町2村が合併して、新しく「すさみ町」が発足しました。
その後、昭和31年4月に大字大鎌を江住村へ分町しましたが、昭和34年3月に江住村をすさみ町へ編入合併して、現在に至っています。
(公式Webより引用)
アンバサダーからひとこと