和歌山県 太地町
(たいじちょう)
- 人口:2,797人
- 面積:6km
- 財政力指数:0.18
- 情報更新日:2022/3/27
日本古式捕鯨発祥の地 太陽と豊かな自然、歴史と文化の町
- 近畿地方
- 和歌山
- 東牟婁郡
- 紀伊半島
- 捕鯨
太地町ってどんなところ?
About
太地の歴史は古く孝謙天皇の天平勝宝6年(756)遣唐使・吉備真備が帰朝の際、「牟漏崎(現在の太地町燈明崎)に漂着した」との記述が続日本紀に見えます。
孝徳天皇の大化2年(646)に太地は木の国牟婁郡神戸郷に属し、その後、熊野三山を統轄する熊野別当が勢力をもつにいたって那智荘に、また元和5年(1619)、奥熊野の大半を領有した新宮藩水野氏の治下に属しました。
明治21年の村制実施に伴い、明治22年4月1日太地村と森浦村の両村を合併して太地村と称し、捕鯨事業やマグロ漁業など、海外発展への盛況を見せ、人口の増加と共に、大正14年4月1日より町政が施行され太地町として今日に至っています。
(公式Webより引用)
孝徳天皇の大化2年(646)に太地は木の国牟婁郡神戸郷に属し、その後、熊野三山を統轄する熊野別当が勢力をもつにいたって那智荘に、また元和5年(1619)、奥熊野の大半を領有した新宮藩水野氏の治下に属しました。
明治21年の村制実施に伴い、明治22年4月1日太地村と森浦村の両村を合併して太地村と称し、捕鯨事業やマグロ漁業など、海外発展への盛況を見せ、人口の増加と共に、大正14年4月1日より町政が施行され太地町として今日に至っています。
(公式Webより引用)
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